3章 『デート』
「白羽くん? 聞いてる?」
「……」
「あのー……白羽択人くん〜?」
「ウェッ!? はい!ごめん、ボーッとしてた! 何?」
「いや、特になんもないけど、そんなに食べてるところをガン見されてると、恥ずかしかったり」
「うわ!! ご、ごめん! ごめんなさい!」
「慌て過ぎ、白羽くん」
咲良さんは笑ってくれた。その笑顔の誘惑を、僕は手元のドーナツを食すことで誤魔化した。
デートの日だった。烏滸がましい言い方かもしれないが、僕の心持ち的にはデートなのだから仕方ない。悔しいがこの前日野の言ってたことは、あながち間違いでもなさそう…そう感じられるくらいにこの胸はときめいていた。
……やっぱ単に美人に一目惚れしちゃった色恋野郎ってことかな、僕
「日曜日のこの時間って、意外に人が居るんだ」
「ああ。そうね、みんな公園が好きなんじゃない?光ヶ丘さんも、好きって言ってたよね?」
「ふふっ、よく覚えてるね、そんなこと。でも私が好きなのは、もう少し静かな公園かなぁ……」
「そ、そうなんだ」
しまった。そんな細かい情報まで覚えている気持ち悪い奴だと思われただろうか。恥ずかしくなった僕は視線を咲良さんから前方の風景に移した。
僕たちは新宿区にある戸山公園のベンチに座っていた。咲良さんの言った通り、日曜の昼下がりということもあって人通りは多く、家族連れからサークルの集まりの大学生、散歩をしている老夫婦など、年代は様々だった。
そんな中、先程新宿で映画を見終えた僕たちは、この戸山公園まで歩いて来て、途中で買ったミスタードーナツをベンチに座って頬張っている。周りから見れば見事にカップルだろう。それが恥ずかしくもあり嬉しくもある。
「グラタンパイ」
「へ?」
「グラタンパイ、好きなの?」
言いながら彼女は僕の手元を指差した
「ああ、これ? いや、別に特段好きってわけじゃないけど……ただドーナツ屋に行ってドーナツを買うというのが、少し安直に思えてね」
言い終わった瞬間に寒気がした。僕のバカ、一体何キャラなんだそれは。「うん。グラタンパイ好きだからよく買うんだ。他にはダブルチョコレートとかも好きかな」とかなんとか素直に言えば良かったじゃないか。なんだドーナツ屋でドーナツ買う奴は安直って。じゃあケンタッキーでドーナツ買えってのか? 馬鹿過ぎる、失態だ。
「あはは、なにそれ? じゃあドーナツはどこで買えば良いの?」
「ケ、ケンタッキーとか……」
果てしない馬鹿だった。今度は考えている事がそのまま外に出過ぎだ。言葉遣いは難しい。
「ふふっ、じゃあ今度一緒にケンタッキーに行ってみようよ。ドーナツ無かったらお昼一回、択人くんの奢りね」
そう言って悪戯っぽく笑う咲良さんは、綺麗というにはあまりにも愛らしく、可愛いというにはあまりにも麗しかった。
しかし……先程から間抜けな大学生過ぎるぞ白羽択人。なんとかイメージアップを……
そんなことを考え出した時、急に咲良さんの表情が変わった。
「!! ……あ、あの白羽くん、どっか別の所行こ」
「え? どうしたの急に」
「いいから、ほらっ」
彼女は足早に立ち上がり歩き出してしまった。僕は慌てて追いかける。
「ど、どうしたの光が丘さん! 何か気に障った!? ケンタッキーの話だったら嘘だよ、ごめん! なんか光ヶ丘さんの前ではカッコつけたくなっちゃっ―」
「ち、違う違う! ただ、あんまり会いたくない人たち見つけちゃって」
「ああ、そういう……」
なるほど。……それにしてもここまで迅速に立ち去るのだ、どれほど嫌な人々なのだろうか。これまでの人生僕はそこまでの嫌な人間には会ったことが無かったので、この咲良さんの必死さは少し不思議だった。
結構な距離を歩き、先程居た場所は全く見えないくらいまで来た時、そこに一人の男の子が泣いているのが見えた。どうやら転んでしまい足を擦りむいてしまったらしい。
声をかけようか、かけまいか……僕がそう迷い出したとき、既に咲良さんは男の子に駆け寄っていた。
「大丈夫? どこか痛むの?」
咲良さんは男の子の目線の高さまでしゃがみ、泣きじゃくる男の子をなだめた。左膝を怪我しているらしい。
「ああ、ここか……転んじゃったんだね……痛かった痛かった、よしよし」
咲良さんは、男の子の背中をさすった。以前僕にそうしてくれたように。
「ねえ、君。お母さんとかは? 一緒じゃないの?」
僕は近寄って尋ねてみたが、彼の答えは無かった。
その間に、咲良さんは自分のバッグから救急用品が入っているらしい小型の箱を取り出し男の子の手当てを始めた。
「光ヶ丘さん、それ、いつも持ち歩いてるの?」
「え? ああ、うん。昔からの癖で。……よーし、ちょっと痛いけど我慢してね、すぐ終わるよ」
素早く消毒を済まし、絆創膏を貼ってあげるその手つきは慣れたものだった。
……それにしてもすごい。手当てをしている間でさえ、男の子の背中を撫でてあげている右手は少しも止まっていない。男の子に対して肉体と精神、治療が並行して行われているようだった。
「……凄いね。左手でこんなに綺麗に絆創膏貼れて」
「ううん、私左利きだから。別に凄くないよ。絆創膏も、昔よく使ってたから」
そうだったのか。まあ左利きであることは特段珍しいことではない。むしろ僕が称賛したかったことは左右の同時進行治療のことだったのだが……下手に伝えようとするとまた失態を犯しそうだ。やめよう。
そうこうしている内に男の子は泣き止み、彼を探していたお母さんも到着した。お母さんは僕らに礼を言い、男の子は「ありがとう! きれいなおねーちゃん!」と元気な声でお母さんと一緒に去って行った。
「――光ヶ丘さんてさ、僕の時もそうだったけど、いつもこういうことやってるの?」
「こういうことって?」
「なんというか……弱っている人を助ける、みたいな……見ず知らずの人なのに、どうして?」
僕は、少なくともその人助けがきっかけで、あなたに恋をしたらしいから。
「……なんとなくだよ、なんとなく。痛い! って言ってる人、口には出してなくても痛がってる人、分かるの。それがほっとけない。その痛みをほっとくと、なんだか自分まで痛くなっちゃうの。だから、そういう痛みはすぐに無くしてあげなきゃって」
そう言った彼女は、僕の予想とは真逆に、どこか儚げな顔だった。
しかしその直後、彼女の表情は一変する。嫌な選択肢しか残されていないことが分かってしまった人のような、そんな仮面を彼女は突然纏ってしまった。
「光ヶ丘さん……?」
「ごめん、白羽くん。ちょっと用事思い出しちゃった。……今日は楽しかったよ! またどこか行こうね!」
そう言うや否や、彼女は僕を残して駆け出して行った。
僕は呆然として、近くのベンチに座り込む。
「――嫌われた、ってわけではないよな……あの感じ」
訳がわからず、そのベンチで呆気にとられたまま20分ほどが過ぎた頃だっただろうか、ウイングからテレパシーが入った。
奴には今日、緊急の時以外は僕を呼ぶなと、日野と家で留守番を言いつけてあったはずだ。……と、いうことは。
『択人! ネイビーマシンが出たぞ! 早稲田大学10号館付近だ!』
ウイングの姿となり、10号館の近くに到着した時には、既に10数人の学生や職員が倒れていた。
『ひどいな……』
僕は思わず目をそむけたくなったが、今の体の主導権はウイングなのでそうもいかない。
「しかし、死んでいる人間はいないようだ……また同じ手口、やはり……」
この人たちの対処は、日野が呼んでくれているはずの救急隊を待つしかない。今僕たちに出来る事は――
「!!」
瞬間、僕の体は後ろからの攻撃をすんでのところで躱した。精神が表に出ていない僕にもはっきりとわかる。この胃が痛くなる感じは、明らかに敵意だった。その手に握られたナイフのように研ぎ澄まされた敵意は、まっすぐに僕らに向けられている。
「相変わらずの手厚い歓迎、どうもありがとう」
「……」
ネイビーマシンはウイングの軽口など相手にせず、ナイフを左の逆手に持ち替え、腰を低く構えた。
「フン……もう何回も会っているんだ、お喋りくらいしてくれても良いだろうに」
『そんなこと言ってる場合かよ、いっつもギリギリの癖に。……勝てんのか?』
「勝つさ。私は早稲田戦士だからな」
互いに様子の伺い合い。おそらく両者の間ではすでに幾通りかの攻防がシュミレートされていて、迂闊には動けないのだろう。
そして、先手をとったのはこちらだった。これまでの戦闘で、ネイビーマシンは姿勢を低くして懐に飛び込んでくることは分かっていた。ならばその懐を無くしてしまえばいい。ウイングは空中に飛び上がり威力が低い光線を空中から浴びせた。
「ウイングッ……ジェルミナット!!」
牽制攻撃。ウイングの放ったエネルギーの塊はアスファルトを粉砕し、粒子となったアスファルトが土煙のようになってネイビーマシンを覆う。よし、このまま背後に着地出来れば――
しかし、それは見通しが甘かった。ネイビーマシンは煙幕の中を何の迷いもなく突っ切って僕らの方に跳躍してくる。それは空中の突進。ウイングと同じくらいの跳躍力を持っている敵などこれまでにはいなかった。
「ッグッ!!」
向かってくる左手のナイフは手首を掴むことで防いだが、そのあとの蹴りが躱せず、僕らは地面にたたき落された。
「ぐはあっ!!」
痛い。滅茶苦茶痛い。ウイングと同化している時でも、感覚はそのままなので勿論痛みは感じる。緩和されてはいるらしいが、それでもかなりの痛みには変わりない。
実力は互角。いや、贔屓目を無しにすると、こちら側が少し押されていた。
「っふぅー……なかなかに厳しいかな、これは」
『僕もそう思う。……でもどうせ、逃げるっていう選択肢は無いんだろ?』
正直僕は今すぐにでも逃げたいけれど。
「私のことがだいぶ分かって来たじゃないか、択人。……すまないがもう少しだけ」
『ああ、付き合ってやるよ、早稲田戦士』
……さて、とは言ったものの、どう対抗しましょうか。
それを考える為、今いるビルの陰から奴の姿を伺う。
「どこか弱点、ありそうか?」
『さぁ……機械っぽいし、水でもかけてみる?』
冗談を言いつつ、僕はネイビーマシンの姿を観察した。
そして、気づいてしまった。
奴の主武装は一つ、研ぎ澄まされたナイフのみ。
左手に、持たれたナイフのみ。
いや、まさか、そんなはずない。ただ左手で武器を扱っているだけじゃないか。しかし、奴は今回の戦闘が始まる前、わざわざ左手にナイフを持ち替えていた。思い返せば、この前の戦いも、その前の戦いも……
左利きなんて珍しくもない。なのに、なんだこの焦燥感は。なにを、僕は疑っている。
「択人? どうした?」
考えたくない、信じたくない。まだそれが真実だとは決まってないのに、僕の中でそれは既に真実だった。そうであって欲しくないと願えば願うほど、確信はなぜか増していく。
パズルのピースは、埋まっていく。
「択人! どうしたんだ択人! ……聞こえていないのか……!?」
いつの間にか僕はウイングの姿じゃなくなっていた。同化には、その宿主の精神力が必要不可欠。急に同化を解いてしまった僕に、イレギュラーなダメージが襲いかかる。
「!?」
それは、これまでウイングが請け負ってくれていた痛み。僕はそれに耐えられない。意識が遠のいていくのが分かる。
『おい、択人! 大丈夫か! 択人! 択人!』
僕の名前を呼ぶウイング。辛うじて見えた最後の景色にネイビーマシンは居なかった。無事に逃げてくれたのだろうか。
ネイビー……それは奇しくも彼女の髪の色だった。