2章 『日野修二』
2017年9月20日。今日は珍しく僕の家に客が来ている。
僕のような地方出の一人暮らし学生の家というのは、たいていは友人の臨時宿泊所になることが多いと聞く。
が、僕はどうやら例外にあたるらしく、そういった事はこれまで全く無かった。
無かった、と過去形を使ったのには理由があって、ここ1ヶ月近くは少し事情が違う。
「――んで? その怪し過ぎる女に恋をしてしまったと? なかなかに馬鹿なんだな、択人クンって」
「恋っていうか、なんかそういうんじゃなくて……もっとこう……」
「その女とはそれ以来何回会ってんの?」
「えーと……5回」
「それは相手に誘われて?」
「うーん、2回は大学で偶然。3回は自分から」
「そういうのを、世間じゃ恋って言うんだぜ、童貞ちゃん」
この慇懃無礼な男こそ、最近の僕にとっての例外、日野修二だった。
彼とはここ1ヶ月くらいの浅い付き合いなのだが、お互い妙に馬が合ってしまい一緒に居ることが増えた。
しかしコイツとの1番太い縁はそこではない。
『な? シュウもそう思うだろう? ここは恋愛の先輩として私たちがアドバイスをだな……』
「へぇ、宇宙人も恋とかするんだ?」
『もちろんだ。宇宙人だって戦いもすれば恋だってする
「ふーん」
そう、日野は僕とウイングの関係を知っている協力者。それが僕と奴を結ぶ大きな糸。
「それで? 択人、お前その2日にいっぺんの逢瀬で女と何したんだ? 壺買わされたりとかしなかった?」
「別に……普通に一緒にご飯食べたり、買い物したり……あと散歩とか。彼女、公園を歩くのが好きなんだって。一人の時でも、暇な時間を見つけて戸山公園とかに行くって言ってた」
「やっぱ恋だな」
『ああ、恋だ』
「だからそういうのじゃなくって……」
あの後、彼女、光ヶ丘咲良は僕に水をくれて、さらには隣で背中をさすってもくれた。
理由を聞いても、「周りと違って、あなただけ介抱してくれる人が居ないように見えたから」と言うだけで、僕には彼女の答えが到底理解出来ず、機会を見てこの変な女から離れようと考えたが、なんだか僕に触れている彼女の手が心地良くて、僕の寂しさにそのまま触れてもらっているようで、そのまま僕はずっと彼女から離れることが出来なかった。
それから10日程経った今、確かに僕は彼女に夢中だった。
「なんていうか……咲良さんと居ると落ち着くんだよ。一つだけ欠けてたパズルのピース、しかも牛乳パズルくらい難しいやつの最後のピースが、彼女と居る時だけは埋まってる。そんな感じがして」
「牛乳パズルて、たとえが古いなおい」
「え、そう? 僕今でもたまにやるけど」
「マジか……暇なんだな、お前」
日野は手元の漫画をめくりながら答えた。その後ろでは同じ漫画を読んでいるらしいウイングがぷかぷかと浮いていた。
『おいシュウ、君が読んでいる19巻、読み終わったら貸してくれ』
「ああ、もう何回も読んでっから良いよ、ほれ」
『おお、助かるよありがとう。しかしこの漫画は面白いな。あのフリーザが信頼するギニュー特戦隊……一体どれだけの強者なのか――』
「ああ、そいつら悟空に一瞬でやられるぜ」
『な!?!?』
「……ねぇ、俺の恋の話は?」
ただいまの時刻は午後9時30分。僕は1ヶ月ぶりに台所の洗い物をしていた。
「やっぱ恋なんじゃねぇか。……あれ? メシ作るの?」
「うん、今日は自分で作ってみようかなって思って。最近日野に頼りっきりだし」
「なんだよ、俺の料理に飽きたか?」
日野は最近1週間に一回のペースでうちに来ていて、その度に宿賃の代わりだと料理を作ってくれる。元々コンビニ飯と外食がメインメニューだった僕には中々にそれが有り難く、そして何より日野の料理は美味しかった。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「……さてはおめー、好きな女が出来たからってカッコつけようとしてんな?」
「……」
図星かもしれなかった。
「はぁ〜……単純過ぎだぜ、択人おぼっちゃん」
『やめておけ択人、不慣れな場所で不慣れなことはするもんじゃない』
「ここは俺の家だっつの! うるさいなもう!」
僕にだって料理くらい出来る。これでも実家では母の手伝いをよくさせられたし。それに日野に出来て僕に出来ない道理は無い、やってやる、やってやるぞ。
材料は既に近所の西友で調達済み。生姜焼きだ。生姜焼きこそ我が人生の友、生きてきた中で生姜焼き(母お手製)からは離れたことはない、いわば一連托生の兄弟である。事実、日野が作る料理の中でも生姜焼きだけは、美味ではあるが僕のお母さんが作る物の方が美味しい。ならばその生姜焼きを10数年食べ続けてきた僕にアドバンテージはある。
見てろ料理も出来るイケメンめ、僕の生姜焼きで黙らせてやる。そしてゆくゆくは咲良さんに振る舞って満足してもらうんだ……!
決意を固め、僕はコンロにフライパンを置き、油を敷いて火を点けた。
バチバチバチバチバチ!!
「!?」
目の前のフライパンはまるで花火のように荒ぶり始めた。熱された油が僕の肌に襲いかかる。至近距離攻撃、ウイングなしでは避けれない。
「うわわわわわわ!! アツいアツい! なに!?」
反射的に火は消せたものの、何が起こったか全く分からなかった。
「……油を敷く時は、先にフライパンを温めとくんだよ。そうすればフライパンに付いてた水が飛んで、油を弾かなくなるだろ?」
呆然としている僕の隣に来た日野はそう説明してくれた
「ほーれ。今度イチから教えてやるから、今日は俺にやらせろ。あぶねえし」
その日の夕飯、日野が作ってくれた生姜焼きは、やはり美味しかった。